科学的探求でも、芸術的創作でもなく、
ただこの世界に、静かに思いを巡らせる。

Carbon Atoms (HOPG) | Width of the image : 1.26 nm
私たちの周囲に広がる現実は、目に見えるものだけではない。日常生活の中で意識することはないが、この世界には知覚を超えた無限の神秘や可能性が潜んでいる。
私は、走査型トンネル顕微鏡(STM)という、原子スケールの世界を覗き見ることができる技術を使い、生命の中心的な構成要素である炭素を観察した。この小さな粒子は、私たちの存在に深く関わっているだけでなく、感情や思考、そして夢にまで影響を及ぼしていると言えるだろう。
炭素の多くは、永遠の時間の中に存在しているという。寿命という概念がない。つまり、私の中に存在する炭素は、かつて何か別のものの中に存在していたのだろう。私を形作る炭素は、どこから来て、どこへ向かうのか。私は、この世界の一部であり、この世界に関与する粒子のようでもある。
私とは何か?この無限とも思える世界とは何か?
存在そのものについて思いを巡らせると、問いはさらに深まり続ける。私を形作る炭素は、単なる物質なのか、それとも連なり続ける理りの糸なのか。炭素という微細な粒子が、星々の爆発の中で生まれ、長い時間をかけて地球に辿り着き、今、私という存在の一部を担っている。そう考えると、私自身が宇宙の記憶を宿しているかのように感じられる。
私を形作る炭素は、私が消えた後も存在し続ける。土へ還るのか、それとも別の生命へと受け継がれるのか。そしてその生命も、私と同じように問いを抱くのかもしれない。「私とは何か?世界とは何か?」と。
家族や身近な人の死は、死という存在を私に深く刻み込んできた。私がこの世界に関与する瞬間は一瞬に過ぎないかもしれない。しかし、その一瞬の中で、私は無限の可能性を感じる。STMを通して観た炭素の存在は、その可能性を私に示してくれている。炭素は単なる物質でありながら、私たちが想像する以上の広がりを持っている。私はその一部として、生きている。
私の存在は、一時的な個体でありながら、永遠の流れの一部でもある。生と死、始まりと終わり、その境界線はどこにあるのか。今ここに私が存在すること、それ自体が、果てしない循環の中の一瞬であり、その循環は私を超えて続いていく。